「セクハラ」のない社会へ~上野千鶴子さんのお話から~

2018年5月13日 08時30分 | カテゴリー: 活動報告

「セクハラってなあに?」連日ニュースで報道される言葉の意味を子どもに聞かれ、ドキリとされた親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか。(私もその一人です)
先日、この「セクハラ」をテーマにした社会学者の上野千鶴子さんのお話を伺いました。
 
上野さんは「セクハラ」の歴史、構造、加害者の深層心理など、多角的かつ本質的なお話をくださいました。
「セクハラ」とは「セクシャル・ハラスメント」(性的いやがらせ)の略ですが、これは権力の乱用による人権侵害で不法行為です。告発しても被告に否定され、周囲から誹謗中傷を受ける等の二次被害、問題のすり替え、名乗り出ろという踏み絵・・・被害者が声を上げる際に失う代償があまりに大きすぎるのです。だからこそ勇気ある告発者を孤立させてはいけない、支え続けることが大切です。
「Personal is Political」(個人的なことは政治的なこと)ー後に続く者のために、個人的な問題として泣き寝入りせず戦ってきた女性達、起こしてきた裁判、その積み重ねの上に今日があることを決して忘れてはなりません。
「性的ないたずら」から「セクハラ」へ、「痴話喧嘩」から「DV」へ、痴漢は「満員電車にはつきもの」から「犯罪」へ、「つきまとい」から「ストーカー」へ、このような言葉の定義の変化がフェミニズムが獲得してきた軌跡といえます。

正義を伝えるのがジャーナリストの使命、と立ち上がった伊藤詩織さん

 
大学等の教育機関での「セクハラ」は以前から深刻でしたが、仕事をする女性が増えたことで職場にもそれが広がり、労働災害として認定されてきました。加害者はリピーターで、決して成り行きなどではなく、力関係で逃げられない、Noと言えない相手や状況をよく選んでいるといいます。自己中心的で加害の意識はなく、心理の深層にあるのは「所詮女(=男のための存在する)だ」という所有物としての意識。男性のアイデンティティの再確認。専門用語で「Doing Genger 」(ジェンダーの実践)というそうです。
男性は女性の庇護者である、という一種のパターナリズムを上野さんは「保護ゆすり屋」と称していました。しかしそんな保護はいらないしもう受忍はしない、女性達はそう声をあげ始めたのです。
 
ではこういった権力の乱用をどう抑制できるかー
権力の最も卑劣なのは暴力ですが、暴力を学習してきたのなら、非暴力も学習できるはず。そのカギは「ケア」であると上野さんはいいます。育児の過程で何とか暴力を振るわずに育て上げる「ケア」=「非暴力を学ぶ実践」であるならば、男性ももっとケアを担うべきではといったところでお話が締めくくられました。
 
実は開催地の狛江市では、市長による市女性職員へのセクハラが問題になったものの、市長はそれを否定、3月市議会では真相が究明されないまま、市長給与減額にて閉幕となったという現状があります。今回は「差別しない・されないまち」をつくろうという市民が企画した講座で「もうわたしたちはガマンしない。#Me tooから #We Tooへ そして #With You へ 足下の差別を考える」というタイトルでした。質疑応答で「この現状をどう突破したらよいのか」という市民の問いに「じれったいかもしれないけれど、今回これだけ話題になり市議会で取り上げられたのは前進。決して無にはならない。あとは市民が許すか許さないかだ。」とおっしゃっていました。
 
「当事者性」「足下から」「積み重ね」その視点を上野さんは大切にしていらっしゃいます。
私達ひとりひとりが自分の問題として「セクハラって何だろう?」と考え、それに対して何ができるかを実践し続けていくことで、今の子どもが大人になって、自分の子どもから「セクハラってなあに?」と聞かれずにすむ未来につながると思います。