福島を忘れない!~福島視察報告~

7月13・14日と「第7回 福島を忘れない!」全国シンポジウムに参加しました。

1日目は報告と講演、2日目は現地視察です。

川俣町、浪江町、葛尾村、飯館村の村町議員の方々から、現状報告がありました。各自治体で状況は異なりますが、課題の多くは共通しています。
・帰還しないことを選択する元住民も多く、見通しが立たない。
・その帰還者のほとんどが高齢者であり、十分な介護や医療の対応ができない。
・農地に除染廃棄物の袋が山積みで排水工事もできず、除染が終わっても農地としての価値が
 失われ、再開をあきらめる人も多い。
・生産の再開ができないまま保障・賠償が打ち切られ生計の見通しが立たない。
・箱もの、企業優先の大規模開発は場当たり的な施策で、住民は蚊帳の外に置かれている。

例えば、川俣町山木屋地区では、2017年3月末に避難指定解除となり、翌2018年4月には改築費13億円5千万円(プールだけで5憶6千万円)をかけて小中一貫校が開校しました。当時は児童・生徒は計15名でしたが、今年の春からは中学3年生3名のみが、この学校に他地区からスクールバスで通っています。立派な建物を作っても、通う子ども達がいないのが現状です。

国は設置したモニタリングポスト(3-4割少ない測定値が示されるそうです)の大部分を、2020年までに撤去しようとしています。被災者への支援策も次々に打ち切りとなり、報告者からも「棄民政策だ」と怒りの声があがっていました。住民が求める復興とは乖離した形で、表向きの形だけの復興が進んでいることがわかります。報道されるのは、いわばこの表向きの復興ばかりです。マスコミはきちんと真実を報道し、私たちももっと現状を知るべきだと思います。

この後、福島原発かながわ訴訟原告団福島原発告訴団のそれぞれ団長さんからの報告に続き、原子力工学の専門家、元京都大学助教の小出裕章さんの記念講演がありました。福島第一原子力発電所がいまどのような状態にあるか、廃炉がいかに困難であるか、事実を直視することの大切さについてお話くださいました。

原子力発電所が都会に建てられないのはなぜか。都会は電力の恩恵だけ受け、万が一の危険は地方に押し付けているからです。自分が引き受けられないものを他者に押し付ける、このような不公平・不公正ははじめから認めてはいけないと先生は力を込めておっしゃいました。そしてどんなに辛い事実でもしっかりと直視したほうがよい。風評ではなく、汚染されているのは事実なのだから、放射線に敏感な子ども達を汚染地に住まわせてはならない。自分を含む今のシニア世代こそ、原子力の暴走を許した張本人として、自分たちの手で「意志的に」引導を渡したい、残りの人生をそれにかけたいと述べられました。
先生の強い思いが伝わり、胸が熱くなりました。事故から8年、原発の再稼働は許さないのはもちろん、全廃炉に向けて、改めて強い意志を持って取り組みたいと思いました。

2日目は、バスで現地視察を行いました。その中から飯館村と浪江町を中心にお伝えします。
飯館村役場の玄関前にある測定器では、放射線量は毎時0.5マイクロシーベルトでした。(追加被ばく線量年間1ミリシーベルトを一時間あたりに換算すると、0.23マイクロシーベルト)
役場の向かいには小中一貫校があり、人工芝の校庭で子どもたちがサッカーをしていて、心配になりました。国は放射線による健康影響は考えにくいとしていますが、むしろそれはこれから明らかになっていくことだと言われており、そのためにも子ども達の継続的な健康診断を行いデータを集積する必要があると考えます。


飯館村の道の駅までい館は、復興の象徴として紹介されますが、年間3,000万円以上の補助金をつぎ込んでも赤字が解消されないそうです。総工費14億円、さらに7億円かけて公園を整備するとのこと、この税金の投入の仕方、何よりそこに暮らす人々の役にたっているのか疑問を抱かずにいられませんでした。

浪江町の請戸小学校は津波の被害にあったものの、教員・児童は全員助かりました。近くの大平山に逃げ込み、雪の降るなか山を越え、国道6号線まででて大型トラックに乗ることができたといいます。道中、教員は子どもたちに後ろを振り向かせなかったそうです。校舎の保存に関しては議論がありましたが、生きた証として残したいという卒業生などの声を受け、保存の方向で検討がすすんでいるそうです。

ここ浪江町請戸地区は津波と原発事故の二重の被害を受けた地区です。津波の翌日に原発事故があり避難を余儀なくされたため、津波による行方不明者の捜査や救助活動が打ち切られました。原発事故さえなければ、救えた命もあったに違いありません。大平山コミュニティ広場にある慰霊碑には、亡くなられた182名の方々のお名前が刻まれています。ご冥福を心よりお祈りいたします。

車窓からみた緑色のシートを被せられた放射性廃棄物に大量のソーラーパネル、立ち並んだ復興公営住宅や、立入禁止区域に立ち続ける警備の方などの光景が目に焼き付いています。ほんの一部を垣間見たに過ぎませんが、福島の現状を肌で感じました。残念ながら、被災者が真に望む生活再建が進んでいるようには見受けられませんでした。真の復興とは何か、それは被災者自身が決め、それを全力で国が支援することだと思います。
福島を忘れない、忘れてはならないと感じた2日間でした。