地方議会議員と表現の自由(議員研修会報告)

10月18日、「地方議会議員と表現の自由」をテーマに議員研修会がありました。
講師は、中央大学副学長の橋本基弘氏です。表現をする立場、受ける立場として、表現の自由の意味と重要性について、改めて考える時間となりました。

表現の自由とはなにか

憲法21条にはこのように書かれています。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

表現の自由は、民主主義を計るもの差しであることを私たちは理解しています。政府を批判する自由こそが、民主主義のエッセンスであると、橋本先生は説明されました。しかし何でも許されるわけではなく、名誉棄損やプライシー侵害、わいせつ、犯罪を誘発するものなどは、もちろん対象外です。公共の福祉と制約この兼ね合い、バランスが重要です。

 

議員の免罪特権とは

憲法51条にはこのように書かれています。

両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない

議員は職務に関する自由で活発な弁論を通して、審理に到達すること、市民に情報を提供することが仕事です。そういった演説や討論又は表決について、民事や刑事の責任を問われません(政治責任は負います)。つまり職権を行使できるよう、一般の方よりも表現の自由が認められているということになります(職務とはいえない発言や行動については対象外)。ゆえに議員一人ひとりが「職責とは、職務とは何か」を自覚する必要がある、と橋本先生は強調されました。あくまで条件付きで認められた表現の自由なのです。
なお、憲法では国会議員を対象としていますが、地方議員も準ずると解釈されています。

 

表現を受ける側として

名誉とプライバシーと表現の自由、それぞれの重要性を天秤にかけて計るには、「公人の、あるいは公の事柄に関する情報か」「反論の手立てはあるか」「被る損害は社会的にみて受忍すべき程度といえるか」といった視点で考える必要があるといいます。

地方議会議員は公人であり、批判の対象となることから、ある程度の名誉棄損やプライバシー侵害は受忍すべきで、表現者の責任を問うことは難しいといいます。しかし、受忍の範囲を超えた場合は、しかるべき対処をすることも必要だということです。

その他SNSを用いた議員活動の利点とリスク、またヘイトスピーチの規制の難しさと市民の意識の醸成の重要性についても言及されました。

 

講義を受けて

議員は公の場で議論をすることを通して、市民に役立つ責務があるという自覚はありましたが、免罪特権や表現を受けることに対する受忍という意識は希薄でしたので、学ばせていただきました。それを理解したうえで、今後も臆せずに発言していきたいと思います。それに対するご意見や批判は受けとめる覚悟はありますが、度を過ぎた誹謗中傷や嫌がらせが生じた際には、毅然とした態度で、しかるべき処置を求めていくことも必要だと考えます。

表現の自由については、最近も深く考える機会があり、それについてはまた別途書きたいと思っています。線引きが難しい問題ではありますが、互いに敬意をはらい、対話を積み重ね、社会的な合意を形成していくしかないと考えます。
その意味でも、橋本先生が引用された「自分が正しいと信じ過ぎないことこそ自由の精神である」というラーニド・ハンド判事の言葉は、胸に刻んでおきたいです。

前列中央にいらっしゃるのが講師の橋本基弘氏