平和をつくるための市民参画のあり方とは(日野市のイベントより)
2回目となる「日野市核兵器廃絶・平和都市宣言40周年イベント」に前回に続き参加しました。(10月16日@日野市役所)。成り立ちの説明などは重複しましたが、新たな気づきが生まれます。私にとってそれは、宣言文を練り上げた方々のお声を実際に伺ってみたい、ということでした。
前回は輪になって話し合う感じでしたが、今回はいわゆる模造紙+付箋紙→発表の「ザ・ワークショップ」といった形式で話し合いました。私の入ったグループは、私が一番若手のようでしたが、全体では20歳から、もうすぐ90歳になられる方までいらっしゃいました。同じ空間で世代を超えて話し合う、それだけでも十分意義深いことです。
そのもうすぐ90歳という方は長崎にいて被爆はしていないものの、被爆後一週間で目にした当時の光景が忘れられず、「なぜ戦争が起きるのか」とずっと問い続けているそうです。「誰か教えてください。」その答えは、その場にいる誰も持ち合わせていませんでした。だからこそ、私たちは話し合い続け、その思いを刻んで後世に残していく取り組みをし続けなければならないのだと感じました。
宣言文を身近な自分ごとに落とし込んでいくにはどうしたらよいのか、宣言して満足していてはいけない、実際に何をしていくのかが大切といったご意見もありました。
私のグループでは、市の計画策定に携わってきたが、その後の検証はどうなっているのか、次の計画はどうしてそのあり様を変えるのかなど説明が何もないといったご指摘もあり、一市民として参加したものの、一議員として真摯に受け止めた次第です。思いのある方が参加はしてみたけれど、そこでブチっと終わってしまわないような継続的な仕組みづくりが大切です。
最後に参加者から感想を求められ発言した市長からも「各回の参加者の皆さまの貴重なご意見が言いっぱなしにならぬよう、どうつないでいくかについて考えていきたい。」とのことでしたので、ぜひその視点で取り組んでいっていただきたいです。
安全保障といった国レベルの話ではなく、自治体が、そして市民が考え行動していくこと、その紡ぎをどう織りなしていくか。平和というくくりだけでなく、人権や環境問題、ジェンダーといったすべての課題を考えていくうえでの礎としての議論と、形だけではない持続的な市民参画のあり様に向き合っていく必要性を切に感じています。
市は丁寧に進めているとは感じています。ただ、それが一過性の、また一部の市民だけのものになっていないか、市が市民の声を聞くだけでなく、市民が考えの異なる市民の声を聞くこと、それをひとつにまとめあげていく力量と土壌づくりこそが、いまの日野市に求められていることではないかと考えます。
本日たまたま会場までご一緒した方が、前回は締め切りを過ぎていて参加できなかったとお話されていました。また、閉庁時の入口がわからず困っていらっしゃる方ともご一緒しました。参加しやすい仕組みをつくるのも、丁寧な市民参画への配慮だと思います。
次回は1月頃の予定とのこと。11月13日には平和派遣事業報告会と被爆体験者による平和講和会もあるとのことですので、ぜひご参加なさってみてくださいね。
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平和都市宣言を自分ごととして活かしていくために(日野市のイベントより) | 白井なおこ (seikatsusha.me)