「今、そこにある公害」②原発の次は核燃施設?上関町の町民が大切にしてきたもの、したいもの

皆さんは「祝島」がどこにあるかご存じですか?
まずはこちらのリンクをご覧ください。
このドキュメンタリー映画「祝の島(ほうりのしま)」の監督、纐纈(はなぶさ)あやさんの講演会(公開授業)に参加させていただきました。(①に続き中央大学文学部プロジェクト科目「今、そこにある公害」の一環)

原発建設をめぐる分断

上関町に中国電力の原発誘致の話がでたのは1982年。建設予定地は祝島の対岸の田ノ浦、原発ができれば島の暮らしは一変してしまいます。以来40年以上、島の人々は原発反対の声をあげてきました。
はなぶさ監督は、町の人々が大切にしてきたもの、大切にしたいものを、日常の「暮らし」を撮ることで、描き出したかったといいます。それは「原発反対!」の言葉では表せないものであると同時に、それを裏付けるものでもあると考えられたそうです。
ニュース報道などでは激しい反対行動ばかりが報じられがちで、見るものは「見ているだけ」に終わってしまうといった話もありました。自分事にならない、ということかと思います。そもそもこういった報道自体もほとんどされません。だからこそ、こういった現地のひとの心のひだに寄り添い、同じ目線で撮るドキュメンタリー映画は貴重です。
島の人口は減り続け、現在では284人、高齢化率は75%を超えています。原発はまだ立っていませんが、人間関係は破壊されてしまったといいます。親戚であっても賛否をめぐり断絶が起き、ひとつの家族のようであった島に分断が生まれてしまいました。
原発は事故が起きなくても、まだそこになくても、人と人とのつながりを破壊する「公害」であり、だからもう建ててはいけないのだと強く感じました。

ドキュメンタリー映画「祝の島」公式サイトより許可を得て転載

何が町民のためなのか

ところが今、今度は使用済み核燃料の中間貯蔵施設の設置案が浮上しています。8月に立地可能調査の受け入れについて臨時議会が開かれ、議員から賛否の意見が表明されたものの、議決もないまま町長が総合的に判断することになりました。
賛成反対の前に、多額の交付金を得たとして、それを使ってどういう町に、どういう未来にしたいのかという本質的な議論が抜け落ちている、とはなぶささんは指摘します。大切なのは共に「どうありたいか」を語り合う対話であり、そこには声をあげられない人や生き物のことも考えられたものでなければならないという話に深く共感しました。

住民自治こそ持続可能なまちの根幹

沖縄の基地をめぐる問題や、長崎の石木ダムをめぐる問題など、すべてに通じます。そもそもそれが必要なのか、それによって失うものは何か、誰かが我慢を強いられていないかなど丁寧かつ本質的な議論が欠けていると感じています。
以前伺った福島の方の「新しい工場や学校を建てて復興だと言われてもね。自分たちが望んでいるのは、もとの暮らしなんだ。」という声を思い出します。補助金で立派な箱モノを立てても、利用する人がいなければ無用の産物になります。
国から押し付けられたものではなく、地域の未来は地域で決める、住民自治あってこそ持続可能なまちとなるのではないでしょうか。

この中央大学のプロジェクトの狙いは、「公害」をテーマに「多角的な視点から掘り下げて考える」ことを身につけることだといいます。とても大切なことで、まさにそれがありたい未来からバックキャストで考えるSDGsにつながると考えます。
はなぶささんのお話を胸に、これからも皆さんとたくさんの対話を重ねていきながら、ありたい未来に近づけるよう取り組んでいきます。

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