私たちは戦跡から何を学ぶのか(日野市のイベントより)

3回目となる「日野市核兵器廃絶・平和都市宣言40周年イベント」に参加しました。(1月15日@多摩平の森ふれあい館)。今回は、ふるさと文化財課の学芸員による市内戦跡の紹介、また戦争体験者を囲んでの座談会がありました。
概要は市のHPに掲載されていますので、こちらをご覧ください。

日野市のHPより

日野市に長年住んでいても、知らないことがたくさんあるとつくづく感じます。墓地にあるお墓も、墓碑銘をみればそれは「戦跡」であるといえます。

証言もまた「戦跡」です。私がお話を伺った方は、満州から引き上げ、日野市で暮らすようになったそうです。敗戦を知るタイミングが少し早めで、行動を起こしたことが幸いしたといいます。
幼いころの記憶であり、戦争についての話は家族では一切しなかったことから、どこの港についたのかもわからないそうです。無理もありません。
しかし晩年、そのお父様はお孫さんに泣きながら戦争ことを話していたといいます。いかに記憶を封じ込めてきたのか、それを背負って生き抜いてこられたのかと思いを馳せました。

グループの参加者の一人は、八王子で空襲にあった友人は、今も花火を見ることができないという話をされました。子どもの頃、焼夷弾がきれいなので思わず見ていると「見ちゃダメ!」と親に叱られたからだそうです。
夏の花火大会の夜空の下、そういう思いをされている方もいるのだと知りました。

ロシアのウクライナへの軍事侵攻がはじまり、まもなく一年が経とうとしています。いくら定義から「戦争」と呼ばなくても、そこで暮らす市民は紛れもない戦禍を被っています。
とにかく一日も早く終結することを願うばかりですが、核兵器がある限り、最終手段として用いられることを誰も否定しきれません。宣言文にもあるとおり、核兵器は廃絶せねばならないのです。

このような状況下、日本の安全保障のあり方も大きく変わろうとしています。もはや「戦前だ」と警告を鳴らす人もいて、私も危機感を募らせる一人です。
私達に何ができるか仲間と話し合い、映画「第9条」上映会&ディスカッションの企画をしました。詳細はこちらです。ぜひご参加ください。

日野市のHPより

※第2回目のときに日野市の宣言文の成り立ちを知りたいと思っていましたが、これは日野市も参加した「非核宣言シンポジウム」(昭和57年8月5日)の共同声明から、一部引用したということがわかりました。

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