ヤングケアラーが「支援の糸」をつかみとれる社会に(宮崎成悟さん講演会より)

ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族のケア(世話・介護)などを日常的に行っているこどものことです。議会ではじめて質問した2018年当時はあまり認知されていませんでしたが、この数年間で一気に社会課題として認識されるようになったことは歓迎します。しかしその定義や支援体制にはバラツキがあるため、国は「子ども・若者育成支援推進法」を改正し、近く明確化する方針です。
そのような状況下、日野市と日野市社会福祉法人ネットワークの共催で「ヤングケアラー支援のための講演会」が開催されました。(2月10日)

第一部では一般社団法人ヤングケアラー協会代表理事の宮崎成悟(みやざきせいご)さんによる基調講演、第二部では地域で支援に関わる方々を交え、パネルディスカッションがありました。

宮崎さんは15歳のときから約17年にわたり、難病を患ったお母さまのケアをされていたことを、年表をもとに話してくださいました。15歳といえば息子と同じ歳、多感な年頃です。お母さまの病状や宮崎さん自身やご家族のライフステージによって、状況は刻々と変化します。いつどのようなサポートがあったらよいのか考えるうえで、大変貴重なお話だと感じました。

例えば、高校生のとき部活の合宿に参加できない旨を先生に告げると「わかった。休め。」と言われたそうです。先生も何か事情があることに薄々気が付かれていたのだと思いますが、それ以上家庭のこととして踏み込まれなかったのかもしれません。ただその後、宮崎さんが家に閉じこもり大変つらい時期を過ごされたことを思うと、「どうした。だいじょうぶか。」という声掛けが継続的にあったら、福祉につないでいたら、多少なりとも状況は変わっていたかもしれないと思ってしまいました。

要介護5のお母さまのために、家には沢山の人が出入りしますが、皆宮崎さんの前を通り過ぎていきます。そんな中、往診の先生はいつも宮崎さんのことを気にかけてくれ、それがとても嬉しかったそうです。その後28歳のときはじめて「ヤングケアラー」という言葉に出会い、自分だけじゃなかったと知った時は驚愕したといいます。自分のことを見てくれているひとがいる、そして自分だけじゃないと気が付くことは、大きな心の支えになるのだと感じました。

ヤングケアラーの問題は、こどもがケアラーであることそのものが問題なのではなく、その負担により自分らしく生きられなくなる、選択の自由がなくなることです。だからこそ宮崎さんの言われる「ヤングケアラーの前にたくさんの支援の糸をたらしておく。ひっぱればすぐに連携した支援が受けられる。」環境を整えることが大切です。さらにケアの欠如という視点で「家族のケアを社会でどう支えるか」という問いの立て方が必要だと宮崎さんは指摘され、その通りだと思いました。

日野市では「ヤングケアラー支援のための基本的な考え方」を現在まとめていますが、そこにも「家族全体を支援する意識を持つ」と明記されています。日野ネットは「ケアラー支援条例」をつくり、意識だけでなく具体的な施策展開を求めています。深刻な状況に陥る前に、ケアラーがつかめる糸が地域に張り巡らされているネットワークの構築を目指し、私も取り組んでいきたいと思います。
皆さんの声をお寄せください。

 

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