恥じ入るべきは、誰なのか(1月のフラワー遊説より)
性暴力根絶を訴えるフラワー遊説を毎月はじめてから、今年で5年目に入りました。1月のフラワー遊説は、八王子駅のマルベリーデッキで行いました。(1月11日)
先月、フランスで起きた集団性暴力事件の判決が報じられました。この事件のことを知らなかったので、ニュースを聞いたとき、私は耳を疑いました。
被告の男性は、約10年間にわたり、当時妻だった女性に薬物を飲ませ意識を失わせ、性的暴行を加えていたといいます。それだけではありません。ネットで募った数十人もの男性に、同じことをさせ、それを撮影していたというのです。許しがたい蛮行に、怒りで震えました。元夫は禁固20年、加害に加わった数十人は禁固3年から15年が言い渡されました。
被害にあった女性-ジゼル・ぺリコさんは、実名と顔をだし、裁判を公開しています。そして毅然とした態度でこう述べました。
「恥じ入るべきは相手であり、私ではない」
この言葉を聞いたとき、自然と涙があふれてきました。
悪いのは加害者、被害者は何も悪くない―当たり前のことなのに、被害者に落ち度があるかのように言われてしまうのが、性暴力。ジゼルさんのこの言葉に、それがどんなにおかしなことかと、社会の意識を変える力強さを感じました。
フランスではこの事件をきっかけに、明確な同意がない性行為は違法とするよう、性暴力に関する法整備を求める声が高まっているようです。
一方日本では2023年、そのように法は改正されましたが、先月それが活かされているとは到底思えない判決がありました。女子大学生に集団で性的暴行をしたとして強制性交罪に問われた滋賀医大生らを、逆転無罪とした大阪高裁の判決です。年末、この判決に抗議する「言葉つむぐデモ」があり、その意を共有するため参加しました。
おかしいと感じることに声をあげる人がいる社会でこそ、被害者もまた沈黙ではなく、声をあげることを選択できるようになるのではないでしょうか。
そしてその先に、性暴力のない社会、ジェンダー平等社会の実現を目指し、今年もフラワー遊説を続けます。