子どもの「居場所」に求めるもの(川崎市子ども夢パーク視察報告)

生活者ネットワーク議員有志とともに、川崎市子ども夢パークを視察しました。(7月7日)
数年前、子どもと一緒に遊びに来たこともありますが、大人も裸足で駆け回りたくなるようなワクワクする空間です。

川崎市子ども夢パーク・フリースペースえんの総合アドバイザー、西野博之さんにお話を伺いました。

子どもの・子どもによる・子どものための居場所
この川崎市子ども夢パークは、西野さんも策定に関わった「川崎市子どもの権利に関する条例」(2001年施行)第27条「子どもの居場所」を具現化するため、2003 年につくられました。条例では居場所を「ありのままの自分でいること、休息して自分を取り戻すこと、自由に遊び、若しくは活動すること又は安心して人間関係をつくり合うことができる場所」としています。
もとは工場跡地だそうで、どんな施設にしたいかは子ども達が話し合って考えたといいます。使い方や遊び方のルールも子ども達で決めます。子どもの「やってみたい!」という気持ちを大切に、大人はただ見守るのです。看板ひとつとっても、隅々に「子どもの権利」が尊重されていると感じることができます。

居場所は常に開け続けることとして、コロナ禍の中でも閉めなかったそうです。学校が休校になり、子どもが家であばれると近所から苦情がくる。そんな親子にとって、どんなに大きな救いだったかと思います。遠方から訪れる親子もいたといいます。
写真のプレーパークほか、ゆるり(乳幼児と障がい者優先の部屋)やごろり(本がたくさんある交流スペース)、たいよう(バスケットゴールもある屋根付きの広場)そして音楽スタジオもあり、こんな素敵な居場所が日野市にもあったらいいなと感じます。韓国からは多くの首長が視察に訪れたそうですが、近隣からはあまりないそうです。日野市長にもぜひ視察に訪れてほしいと思います。

学校以外の学びの場
そして建物の一角に「フリースペースえん」があります。全国でも珍しい公設民営のフリースペースで、対象年齢は問わず、利用料はかかりません。お昼は敷地の畑から採れたての野菜を使って、作りたい人が作って皆で食べます。ちょうどお昼時でしたので、美味しそうな匂いが漂っていました。

市内には、学校に行かなくなった子ども達が約2000人いるそうです。学校にいかなくなる理由やきっかけは「これ」という一つの理由ではなく複合的で、本人にさえ明確にわからないといいます。それが身体にサインとしてでてくる。例えば「朝起きられない」というのはある種の防衛反応で、命を守っているのです。だからからだの声を聴くこと。大人は「大丈夫だよ」というメッセージを送り続けることが大切です。

国は「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知で、不登校は問題でも悪いことでもないという考えを示していますが、これが学校現場まで届いていないのが現状だと西野さんは指摘します。だから学校へ戻そうとする。でも学校が変わらなければ、子ども達は戻れないのです。学校が安全で、安心して楽しく学べるのであれば、子どもは喜んで学校に行くはずです。
常に他者からの評価を気にして「すべき」で固められ、自分の「したい」がわからなくなってしまった子ども達は、このフリースペースで安心して過ごすことで、自分から動き出すようになる様を西野さんは長年見守ってこられました。
ICT化が進んできたこともあり、「不登校」の概念そのものが変化しています。学びは学校だけではない、どこで学ぶかではなくなにを学ぶか。その多様な学びと育ちを保障することこそが必要です。

今年、東京都に「こども基本条例」ができました。条例はそれを本気で具現化していかねば、意味がありません。それを実践してきた西野さんのお話に深く感銘を受けました。私も東京都の条例を追い風に「日野市子ども条例」が活かされたまちづくり、皆さんとともに取り組んでいきます。

最後に、西野さんも大きく心を揺さぶられたという、川崎市子ども権利条例策定子ども委員会の子どもからのメッセージを紹介します。

まず、おとなが幸せにいてください。
おとなが幸せじゃないのに、子どもだけ幸せにはなれません。
おとなが幸せでないと、子どもに虐待とか体罰がおきます。
条例に「子どもは愛情を持って育まれる」とありますが、
まず、家庭や学校、地域の中でおとなが幸せでいて欲しいのです。
子どもはそういう中で、安心して生きることができます。

 

参加した多摩地域の生活者ネットワーク議員の仲間たちと西野博之さんを囲んで

出版ほやほやのこちらの本、ぜひご一読ください。